「ダブルエージェント明智光秀」 波多野聖著

 

以前、「ピースメーカー天海」という本を読んで、面白かったので同じ波多野さんが書いている三部作の一作目である本書を読んでみました。

 

天海になる前の明智光秀のころのお話です。ダブルエージェントというのは足利義昭、織田信長の両将に同時に使えた時期があるということだと思います。

 

この小説、一風変わっているなーと思ったのは、各章の題名です。

 

第1章光秀、顧客を満足させる

 

第2章光秀、銭を調達する

 

第3章光秀、政務を行う

 

・ 

 

 

 

と展開していきます。

 

まさにできるサラリーマンといった感じで、実際にも織田信長の信用を勝ち取っていったんだろうなと思います。

 

信長公記という豊臣秀吉の時代に書かれた書物には、信長は残虐であった、光秀はその信長を討ち取った裏切り者だというように書いてあり、日本人の多くはそういったイメージを持っているのではないでしょうか。それは彼らを貶めて自分を美化するための秀吉のイメージ戦略とも言われています。歴史は勝者が作るというように。

 

しかし、信長も光秀も他の資料も見て見ますとそのイメージを覆すような行動、言動もあることが分かります。

 

実際に光秀は今でも京都の福知山市や亀岡市、滋賀県の大津市坂本では善政をしいたことから多くの人から讃えてられています。

 

この本の中には、光秀が流浪時代に大阪の堺のととや(魚屋)の商人田中与四郎と出会い鉄砲を調達するくだりがあります。これは二部作目の千利休へとつながる導線になっていることが読み進めるうちに分かってきます。

 

ただ私としては史実とあまりにかけ離れているので二作目を読むのは辞めておこうと思います。

 

しかし最後の本能寺の変に入っていく経過についてはなるほどなと思うことがありました。

 

信長が天皇とその親族、公家たちを皆殺しにして自分が天皇に取って代わることを画策し、その方策を光秀に考えさせたこと。

 

このことは全くの空想で出鱈目と言われたらそれまでですが・・・。しかし、皆殺しとまではいかずとも、信長が天皇の外戚になろうとし、確かに安土城の天主には天皇を迎え入れる空間があったと何かの本で読んだことがあります。そしてその天皇の部屋の上に信長の部屋があったと。つまり自分が天皇を超える存在になろうとしていたのは限りなく近い想像と考えられる。

 

天下泰平の新しい世を夢見て、信長に従った光秀、下剋上を自分で最後にしようとした光秀が二作目、三作目へ繋がっていきます。

 

そして従来言われてきた信長と光秀の仲が悪かったというのも最近の研究では覆されてきている。むしろ信長が1番信頼して頼っていた部下は光秀だっととも言われている。完璧に仕事をこなす光秀。

 

だからこそ、本能寺を囲まれた時の信長の「是非に及ばず」という言葉が出てきたのだろう。

 

私は福岡出身なので立花宗茂や黒田官兵衛が好きですが、関西に出できて1番興味を持ったのは明智光秀です。今まで光秀に関する城をいくつか訪れました。近いうちに兵庫県の篠山市にある波多野秀治の居城で光秀が丹波平定の一環として落とした八上城を訪れたいと思います。

「ピースメーカー天海」 波多野聖著

 

2022年9月10日

 

波多野聖さんの小説初めて読みました。本屋でこの小説の冒頭を読んでやっぱり惹かれたのは、時々言われる天海=明智光秀説を用いているところでした。

 

関東の寺で仏教に励む天海は徳川家康と手を結ぶことになります。

 

そして、秀吉亡き後の豊臣政権を倒すため家康にさまざまな知恵を授けていきます。石田三成との関ヶ原を制し、さらに大阪の陣で豊臣秀頼と淀君を退けやっと天下を取ろうとした矢先、家康はこの時、豊臣方の襲撃を受け討死してしまうのです。

 

しかし、天海は全く動揺せず、影武者を家康に見立てその場を乗り切るのです。この事実を知るのはごくわずかな近臣だけでした。この辺りは昔マンガで見た原哲夫氏の「影武者徳川家康」と同じだなと思いました。大阪には確かに家康の墓があると伝わる南宗寺があるのです。一度行ってみたいです。

 

天海は伊賀忍者に伝わる術を使って影武者家康を自在に操り、幕府の基礎を固めて行くのです。そして、2代将軍秀忠、3代将軍家光にまで支えていきます。家光の乳母は春日局といい、明智光秀に仕えた斎藤利三の娘であります。

 

天皇に秀忠の娘を送り、徳川家が天皇の外戚になり朝廷にも影響を及ぼすようにします。

 

武家諸法度、禁中並公家諸法度や参勤交代など全国の大名や公家を抑える制度作り、ぬかりありません。

 

影武者家康の墓を日光に東照宮を作り、家康を幕府を守る神に仕立て上げました。また江戸の鬼門である北東の方角に京都の比叡山延暦寺にならって東叡山寛永寺を建てました。上野の不忍池は琵琶湖に見立てたものだそうです。

 

日光東照宮から見渡せる平野を明智平と名づけました。

 

天海は戦のない平和の世を作るため3度主君を変えました。そのためには下剋上を明智光秀で最後とし(この時は信長が自ら天皇にとって代わろうとしたのを阻止した)なければならないと考えた。そのために士農工商という身分を明らかにし、その身分に代々縛りつけることが正しい道と考えた。

 

天海は100歳以上生きたと言われ、江戸で亡くなりますが、朝廷から慈眼という諡を賜りました。全国に3つある墓の内、一つは滋賀県大津市坂本の明智一族の墓がある西教寺の近くにあり、また京都の光秀が作った周山城の近くには慈眼寺があり黒塗りの明智光秀像が今でも秘蔵されています。

 

実はこの小説三部作で織田信長に仕える明智光秀というものが一作目にあるようなので、また今度読んで見ようと思います。

「荒ぶる波濤 坂本龍馬と陸奥宗光の青春」 津本陽著

 

2022年5月1日

 

あちらは明治に入ってからの政治家になってからの活躍の話だったのに対し、この本はまだ宗光が伊達小次郎(陽之助)と名乗っていた若い紀州藩士時代の話です。順番的には逆かな。

 

宗光の父は紀州藩の要職に就いていて伊達家は何不自由ない生活をしていましたが、藩内で藩主の死により政権交代が起きると主導権を取るようになった敵対勢力から不当に失脚させられます。そして和歌山城から遠く離れた地へと住まざるを得なくなり、極貧の生活へと突き落とされるのです。宗光は紀州藩への憎悪を持ちつつ貧しいながらも勉学に励み、江戸への留学の機会もつかみ自身の向上に努めます。

 

この時に宗光の運命を大きく変えたのは、やはり坂本龍馬との出会いだと思います。龍馬と意気投合した宗光は、勝海舟が責任者を務めて、龍馬が塾頭を務めた幕府の神戸海軍塾へと入塾します。これからの日本では船が商売をする上でも、また海軍力を高めるためにもまずは船を操作できるようになることが大事だと感じたのでしょう。

 

宗光は才に走って、軽薄なところから、塾生からは嘘つき小次郎と呼ばれて嫌われていましたが、龍馬だけはそんな彼をかわいがり、もし塾がなくなっても身をたてていけるのはわしと小次郎だけじゃと宗光の才能を見通していたのです。

 

その後、塾が解散になった後、薩摩藩に拾われた龍馬たちは長崎で亀山社中という船を使った貿易業を行うことになります。この時、宗光はグラバーら海外商人と交渉をしながら英語も勉強して身につけていきます。そして彼らは貿易力を活かして西洋銃を多く手に入れて、幕府を倒す原動力となる薩長同盟に関わっていきます。土佐藩のバックアップを受けるようになると亀山社中は海援隊と名を改めます。

 

念願の大政奉還を成し遂げたあと、龍馬は京都で何者かに暗殺されます。そのあと宗光は龍馬の敵討ちとばかり、紀州藩の三浦休太郎の襲撃など過激なこともします。

 

最後に宗光が言った言葉が面白かったので載せて終わりにします。「隊長、あんたが亡くなったので、一時は世に出る足がかりを失うたと歎いたが、なんとか国家の公務にはたらけるようになった。ここまでやってこれたのは、すべてあんたが引き立ててくれたおかげや。俺はこれからもいろいろな難儀な目に合うやろうが、力の続く限り、茨の道でもかまわん、歩き続けていくよ」

「北条義時」 高橋直樹著

 

2022年3月4日

 

今年1月からNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」がはじまりました。以前「新撰組!」、「真田丸」も担当された三谷幸喜監督です。

 

小栗旬さん演じる北条義時を主役として鎌倉幕府草創から執権政治の確立までを描くと思われます。

 

ここからは大河ドラマのネタバレになるので知らない方、ドラマを楽しみたい方は読まない方がいいかも・・・

 

鎌倉殿というのは二代将軍源頼家以降の征夷大将軍を意味します。しかし、残念ながら三代源実朝で頼朝の直系は途絶えてしまいます。なので、それ以降は京都から公家将軍を迎えることになります。13人というのはその鎌倉殿を合議により支えた近臣達を指しますが、その筆頭に二代執権、北条義時がいました。

 

高橋直樹さんの「北条義時」はまさに主人公その人を描いた作品ですが、今回もっと知りたいと思い読んでみました。

 

北条氏は関東の小さな一国人領主に過ぎませんでしたが、京から流刑にされた源頼朝を匿うことによってその運命が劇的に動き出します。そしてもう一つの大きなことは北条義時の姉、政子が頼朝の妻になったことです。

 

頼朝は平家打倒の旗揚げ以降、最初の石橋山の合戦こそ平家方に敗れますが、房総半島に脱出し千葉氏、上総氏が馳せ参じてからは一気に兵力が増し遂には鎌倉を占拠します。その後は同じ源氏の木曽義仲、源義経の活躍もあり平家を滅亡させます。義仲、義経(義経追討を目的として全国に守護地頭を置き東日本を統治下に起きます)は粛清され、最後に残った東北の奥州藤原氏を倒しついに日本を統一し、頼朝は最初の武家政権鎌倉幕府を開くのです。

 

この時点で北条氏は頼朝の多くの家臣の1人でしかなく、唯一他とリードしている点は頼朝の妻政子の父が北条時政という外戚関係ということでした。時政は頼朝が征夷大将軍になったたった7年後に落馬という不慮の事故からわずか後に死去するとその牙を見せ始めます。梶原氏、比企氏、和田氏、畠山氏など幕府草創に貢献したライバル達をあらゆる手を使って蹴落としていきます。

 

時政のそのやり方は娘政子の子供、頼家や実朝も軽んじるものであまりの酷さに、政子、義時により引退させられます。

 

しかし時政のこの強引なやり方が結果功を奏して、北条氏は御家人達で最も力を持った存在となります。そして二代執権義時の時、鎌倉殿を越えた大きな権力を手中にするのです。もちろん頼朝亡き後の未亡人政子は御家人達からカリスマ性があり、そのサポートが大きかったのは言うまでもありません。

 

後鳥羽上皇がこの混乱期に起こす、義時を朝敵指定した承久の乱が起きますが、京へ迅速に攻め込むという積極策に打って出て、上皇を隠岐島へ流刑にして解決します。そして京に六波羅探題を置き、朝廷を監視することで西日本も盤石なものとします。大江広元や息子泰時など優秀な人の支えもありました。

 

この北条義時の直系が得宗家となり鎌倉幕府の滅亡までその権力中枢に居座るのです。

 

NHK「鎌倉殿サミット2022」が放送されてましたが、ある先生が鎌倉幕府は広域○力団関東源組であるいう揶揄をしてましたがまさにその通りだなと思いました。鎌倉は怖いな?と。政子のことを極道の妻と言ってました。

「実朝の首」 葉室麟 著

 

2021年12月6日

 

「秋月記」に続いて葉室麟さんの作品を読んでみました。

 

時代は鎌倉時代初期の話で、来年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」とも関わりのあるストーリーです。

 

実朝というのは鎌倉幕府3代目将軍源実朝のことです。2代目将軍頼家の子、公暁(実朝にとっては甥)に暗殺されたとなっています。実朝は頼家の弟です。

 

実朝が暗殺された後、その首が何者かによって持ち去られたという事実があり、そこから物語が展開していきます。

 

源氏は血縁間で殺し合うのは頼朝と義経しかり、よくあることでした。公暁は次期将軍の座を狙って犯行を行ったと言われていますが、それを唆す誰かがいたのは間違いがないと考えられています。

 

初代頼朝の後、最も幕府の権力をふるったのは妻の北条政子でした。まさによく言われる尼将軍そのものです。頼家や実朝の母でもある政子はいくら将軍の器でなかったとはいえ、政争に巻き込まれて殺された息子たちへの思いはいかばかりだったでしょうか。そしてその弟の北条義時は北条氏の天下を確実なものにしようと画策しています。

 

実朝の首はなぜ持ち去られたのか?首を追うもの、追われるもの。鎌倉幕府の権力を我がものにしようとする勢力たちの争い。武家そして源氏内の争い、そこに京都の天皇が加わり、日本中を巻き込む騒乱へと発展していきます。

 

葉室さんの作品、まだ2つですが、今回の方が面白く早く読み終わりました。史実とフィクションをうまく混ぜた展開はやはりいいですね。

 

「宇喜多の楽土」 木下昌輝 著

 

2021年10月16日

 

木下さんのものを2冊目読んでみました。前作の「宇喜多の捨て嫁」は宇喜多直家が権謀術数を使って備前を統一するまでを読みました。この後、岡山城にも訪れました。

 

今回の「宇喜多の楽土」は、その続編のような形で、直家の息子、宇喜多秀家の話です。

 

秀家は父からの領土をそのまま引き継ぎますが、時代の流れに翻弄されていきます。まずその大きなものが豊臣秀吉との出会いでした。秀吉は山崎の戦いで明智光秀を破り、まさにここから天下人に登らんばかりの勢いです。

 

秀家の秀は秀吉の秀を与えられたものと言われています。西の巨大勢力、毛利家に対抗するため頼らざるを得なかったということもありますが、それからの秀家はとにかく秀吉に尽くします。九州島津攻め、小田原北条氏攻め、さらには朝鮮出兵へと協力し常に危険な戦いを強いられ戦功を上げてきました。その結果秀吉の信頼を得、領地を加増され五大老の1人へと登りつめたのです。

 

しかし、秀吉が病死すると情勢が一変します。お家騒動で自藩の統制がままならくなってきます。どうもそこに家康が絡んでいたようです。そして五大老をまとめていた妻の豪姫の父でもある前田利家が亡くなると、ついに家康が動き出すのです。反石田三成派を糾合し大勢力へとなっていき、上杉討伐を契機として、ついに関ヶ原の戦いへと入っていきます。

 

秀家は秀吉の恩に報いるため、石田側の西軍に着きますが、勝負は最初から明らかでした。もはや小早川秀秋の裏切りがそこまで影響したのかと思うほど家康の手回しは完璧なものでした。豊臣秀頼と毛利輝元が動かないのを最初から分かっていたのでしょう。もしくはそうさせなかった。

 

西軍の完敗後、秀家は逃亡します。共に西軍として戦った島津に匿ってもらいますが、最後には家康に投降するのです。

 

死を覚悟した秀家でしたが、息子2人とわずかな共とともに、江戸から遙か南の八丈島へと流されたのでした。その時妻の豪姫から昔渡した貝合わせが送られてきたのです。それには豪姫と思われる絵が描き足してありました。決心に迷った時はこれを見てくださいという文とともに。

 

しばらくして家康側についた前田家から再士官の誘いの使いがやってきます。秀家はしばらく考えるのですがこの誘いを断りました。再び豪姫と暮らせるとはいえ、これは再士官すれば必ず家康側として今まで恩があった豊臣家へと刃を向ける大阪攻めに参加しなければならないこと、自分を慕う者たちをまた死なせなければならないことになるからではないかと思いました。

 

合わせ貝を見ればいつでも豪姫を思い起こすことができるのであなたと会えないのは寂しいですがもう戻って来ないほうがいいというメッセージに気づき、憎き家康に味方することは絶対にしたくないという忠義を貫いた人だったのではないかと思いました。

「叛骨 陸奥宗光の生涯」 津本陽 著

 

 

2021年8月9日

 

明治政府で、活躍した陸奥宗光について知りたかったので読んでみました。

 

著者の故 津本陽さんが出身地である和歌山県の知事と話した時に、和歌山出身の著名人である陸奥宗光について書いてほしいと言われ、書くことが決まったとのこと。

 

少年時代、父は城下で士官して働いていたが、政争に敗れ、下野し城から離れた田舎で暮らさざるを得ず不遇な生活を強いられた。

 

この物語は明治時代に入ってからのストーリーが主で、少年時代や坂本龍馬に師事した海援隊時代は端折ってありました。

 

今年の大河ドラマは同時代に生きた渋沢栄一が主人公で見ていないのですが、陸奥宗光だったら見てたかな?

 

本を読んで初めて知ったことは、宗光は西南戦争時、土佐の立志社の林有造、大江卓らともに大久保利通ら明治政府首脳を京都にて襲撃しようとしていたことです。結局未遂に終わるのだが、戦争終了後嫌疑をかけられ有罪となり東北で数年の牢獄生活を余儀なくされた。この時大久保はすでに暗殺されていたが、もし生きていたら処刑されていてもおかしくないと思いました。この時政権を握っていた伊藤博文とは互いを認め合う仲であり、持病の肺病の配慮を受け受刑中も優遇された生活を送ることができた。

 

刑期を終えると、伊藤に薦められヨーロッパに留学し、帰国後外務省に出仕した。国民は大久保達の進めた有司専制政治に不満があり、宗光の政界復帰を歓迎したという。閣僚内で唯一、選挙で選ばれた衆議院議員であった。

 

その後、外務大臣に就き、不平等条約の改正や1番ページを割かれていた日清戦争後の下関条約、李鴻章との交渉に対して辣腕を振るった。三国干渉を受けながらも戦略的視点を持って条約締結に漕ぎ着けた。

 

津本陽さんの陸奥宗光に関して若い時代の作品もあるようなので読んでみたいと思います。

義貞の旗 士道太平記 安部龍太郎著

 

2021年2月13日

 

久々に安倍龍太郎さんの本を読んでみました。鎌倉時代末期の武将新田義貞に関するものです。

 

現在大河ドラマ「太平記」が再放送中でして、いいタイミングなので読みました。

 

従来の私が知っている太平記とは少し違うアレンジされた部分があり、何点かあげます。

 

1.義貞が鎌倉討伐の兵を新田荘で挙げたのは、護良親王からの令旨を受けたからというもの。ここは吉川英治さんの「私本太平記」では義貞は足利尊氏と盟約して尊氏の六波羅探題攻撃と時期を同じくして、鎌倉に攻め込むと約束したとなっていました。

 

2.尊氏が九州から勢いを盛り返し、湊川で楠木正成を破り、京から比叡山に逃げ込んだ後醍醐天皇方を包囲した。この時、天皇は極秘に尊氏との講和をして京都に戻ることを決めており、邪魔になった義貞を越前に追いやった。義貞は不本意ながら越前に落ちざるを得なかったと「私本太平記」に書いてありました。しかし、今回の話では、後醍醐は比叡山で息子の恒良親王に譲位し、三種の神器も渡した。その上で義貞に預けて越前に落ちさせた。後醍醐は偽の三種の神器を持って尊氏に降り、それを渡した後、密かに京を抜け出して奈良で反足利の兵を挙げる。そして北の義貞と挟撃しようということで義貞は納得したというものでした。

 

3.義貞は高師泰、斯波高経ら足利方に越前金ヶ崎城を落とされて恒良親王を奪われた後、潜伏していた杣山城から密かに少人数で尾張の青野ヶ原に向かい、北畠顕家率いる南朝軍と合流し、足利方を散々に打ち破った。この時、北畠軍には関東に残した妻子が従軍しており、その目に鎌倉陥落時の活躍のように義貞ここにありという強烈な印象を叩き込んだ。足利方の援軍が厚いことから、義貞は北畠軍にこの後は伊勢を通り、奈良の後醍醐の元へ行けと提案した。そして再び妻子とは離れ離れとなった。自分は越前に戻り国府を落とした後、越後の新田一族の援軍とともに北から京を攻めるので北畠軍は南から京を攻めてくれと。そして物語はここで終わる。私本太平記では義貞は越前攻略中に北畠軍が近江に入ることを待望したが、結局来れずに足利方を連携して攻める機会を逸したとなっている。北畠顕家は父親房に会うために伊勢路を選んだとなっていた。

 

しかし、この後は皆さんご存知のように義貞は無念、越前藤島で斯波高経の前に討ち取られるのである。

 

義貞は義に生きる熱い男として描かれ、一貫して関東弁を喋っている。実写化されるなら俳優の村上弘明さんが1番適しているのではないかと思う。また世尊寺房子(勾当内侍)との恋愛なども描かれて、一瞬官能小説ではないかと思う部分もあり面白かった。

南北朝武将列伝 南朝編 亀田俊和、生駒孝臣著

 

2021年5月1日

 

南北朝ファンの方にはたまらない一冊です。

 

どちらかというと北朝の方が好きなんですが、亀田先生が編集されていることもあり購入しました。

 

多くの武将が取り上げられているのですが、特に懐良親王、菊池武光、北畠顕家、新田義貞、新田義顕、新田義興、新田義宗、北条時行、護良親王、楠木正成、楠木正行、楠木正儀、名和長年を読みました。

 

この中でも亀田先生は北畠顕家を、生駒先生は楠木正成、楠木正行、楠木正儀を書いています。

 

北条時行は今少年ジャンプで連載中の「逃げ上手の若君」松井優征著の主人公です。ネタバレですので連載終了するまでは読まない方がいいかもしれません。

 

どの武将も最新の研究をもとに書かれていますが、特に目を引いたのは新田義貞の項です。これまでの二次資料である太平記の記述により新田家は足利家と同じ源氏嫡流ということになっていましたが、最近の一次資料の研究結果により新田家は源氏嫡流でもなんでもなく足利家庶流ということが判明したということです。要するに新田家は足利家の部下であったということです。だから、足利高氏が京の六波羅を攻める間、新田義貞が鎌倉を攻めますが、それも高氏からの多くの足利庶流の武将たちに鎌倉攻撃の命令が出ていたということです。
高氏は鎌倉を北条時行に攻められた時、義詮、直義を助けるため鎌倉に向かいます。その後高氏は後醍醐から離反します。この時義貞は後醍醐に付き、高氏征討の将軍となるのだが、このことは足利庶流の新田による足利嫡流の高氏への下剋上であるというのだ。だからこの時点まで義貞は尊氏と同じ二引両の家紋を使っていたが、この時から中黒紋を使うようになった。

 

これまでのイメージが全く違うものになりますね。今後もこういった研究が深まっていくのは興味深いです。

 

南北朝武将列伝 北朝編も出るようなので楽しみです。

コウラン伝 始皇帝の母

2021年6月26日

 

コウラン伝 始皇帝の母(2019年 中国)のNHKBSプレミアムでの放送が終了したのでその内容のご紹介と感想を書こうと思います。

 

ブログ(本やDVDの感想6)
主人公のリコウラン。ウ―・ジンイエンさんが演じます。始皇帝の母となる人物です。元は商人呂不韋の愛人でしたが、秦の人質で王位継承者であるえい異人(後のえい子楚)に嫁ぎ、えい政(後の始皇帝)を生みます。このドラマでは趙国の名家の出で、宮廷に仕える踊り子ということになっています。利発で賢い女性です。アニメキングダムでは太后と呼ばれ、えい政とは不仲で第3の巨大陣営を持つ。荒淫で秦太后となった後も呂不韋との関係が絶えず、耐えられなくなった呂不韋により巨根のろうあいをあてがわれ、ろうあいとの間に数人の子供ができた。ろうあいの乱に関係した罪で冷遇を受けた。

 

ブログ(本やDVDの感想6)
呂不韋りょふい

 

元は商人であったが、コウランをえい異人に嫁がせ、そして秦国内部に取り入って、えい異人を秦王にすることができ、その功績を認められ相邦(しょうほう)=大臣へと大出世した。趙において不遇の生活を強いられた異人を見た時、「奇貨居くべし」と言い、千載一遇のチャンスをものにした。その後多くの食客を集い、その中から優秀な人材を見出して抜擢し、内政面において活躍した。アニメキングダムでは後にえい政陣営と対立しており、ろうあいの乱などもあり失脚し、中央から退けられ自ら命を絶った。

 

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? 子楚えいしそ
幼少時代は趙の人質となっていた。華陽太后の養子。秦の王位継承権を持つ。コウランとの間にえい政をもうけた。呂不韋と先んじて秦国に戻った。王位を継いだ後、コウランが正式な正室となった。兄との対決や反呂不韋派や息子の教育など悩みが多いが果敢に立ち向かった。病弱で若死にする。
ブログ(本やDVDの感想6)
華陽太后。えい異人の父秦王の正妻。王宮で幅を利かす、び氏一族。タン・ジュオさんが演じます。私的にはこの人がいちばんきれいで好みでした。強大な権力を持ち、コウランの入内やえい子楚の正妻になることにことごとく反対する障害となった人物。賢いですが冷たい印象でした。

 

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? 政えいせい
コウランの息子。後の始皇帝になる人物。趙の国で生まれた。母コウランと命からがら秦国に戻った。気性が荒い一面もある。本作品では子楚が亡くなって、政が王位についたところで終わった。キングダムでは主人公の(李)信と仲が良く、戦をなくし平和な世の中を作るため初の中華の統一をかかげる。また成きょうとの争いの場面から物語が始まる。実は呂不韋の子であったという伝説もある。多くの優秀な文官、武官を使いこなし、法で治める統一国家を建国した。北方異民族を防ぐため万里の長城を築いた。しかしそのカリスマ性があだになったか、死後宦官趙高の悪政により国は荒れ、わずか一代にして統一国家は崩壊した。始皇帝陵墓は水銀の川が流れていたという。

 

ブログ(本やDVDの感想6)
? 成?えいせいきょう
えい子楚の妾、び・しらの子。政にとっては異母弟である。キングダムではこの成きょう派により政が襲われところが政と(李)信との出会
いのきっかけとなる。政派に叩きのめされる成きょうは心を入れ替えて、以降政に協力する。対合従軍戦で咸陽を守るため戦死してしまう。

 

ブログ(本やDVDの感想6)
? 子?えいしけい
子楚の異母兄。先王の側室の子。死んでしまったと思っていた弟、子楚が秦に戻ったことにより王位継承権を失った。子楚との政争に敗れ処刑された。
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趙 高ちょうこう
政つきの内官。史実では政の信頼が厚く、後宮を取りしきった。しかし、讒言など用い敵対する家臣をことごとく粛清していった。政の死後、自身
の権力を守るため政の優秀な息子扶蘇を退け、無能な胡亥を2代皇帝として即位させた。秦を滅ぼした張本人ともいえる。

 

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? ?ろうあい
このドラマではコウランの家の使用人、護衛となっていた。史実では荒淫なコウランのための巨根の男娼であった。コウランとの間に数人の子供
をもうけた。後に政権転覆を謀り、乱を起こすが鎮圧され、一族皆処刑された。陰部で車輪が回せ
たという。

 

コウランが子楚の正妻になるまでの後宮での苦労が中心に描かれていた。あとは呂不韋との関係を深く描いていたと思う。キングダムでおなじみ武将といば蒙ゴウ、王コツなどが出ていました。続編もやってほしいなと思いました。