地図でわかる天皇家の謎

 

2017年3月

 

この前近くのコンビニに寄った時に、ふと面白そうな本を見つけたんで買ってみました。歴史の中でも特に南北朝時代と幕末が好きな僕は「天皇とは何ぞや?」というのが大きな疑問になってきました。

 

前も書いたように、いわゆる教科書で教えられる天皇とは、伊勢神宮に祭られている天照大神を祖先とする神社(神道)のトップであり、国民のために様々な祭祀をする人ということです。万世一系でありその正当性は古事記や日本書紀に示されています。

 

この本で特に興味深かった内容を抜き出してみました。

 

・謎の4世紀と王朝交代説
中国の書物に日本の天皇が登場するのは、5世紀の宋書や粱書の15代応神天皇からと言われている。しかし、問題はそれ以前の中国の記録がいっきに「魏志倭人伝」の卑弥呼の時代まで飛んでしまうことである。卑弥呼の時代が3世紀中ごろなので、初代神武天皇から第14代仲哀天皇までの事跡はすべて4世紀に集中していることになる。だが、そのとき日本列島で何が起こっていたのか記した書物はない。そこでこれを「謎の4世紀」という。

 

・謎だらけな継体天皇の正体
第26代継体天皇は近江の国で生まれ、越前の国で成長した。継体天皇の即位に謎がある。河内の樟葉の宮で即位するが、どういうわけか山城の筒城の宮や弟国の宮を転々と移動していって、なかなか大和へハイロウトしない。まるで大和朝廷勢力と対峙しにらみ会うかのように…ようやく大和に入ったのは即位後20年も経過してからのことだった。この動きを普通に解釈すれば、継体天皇即位を快く思わない大和の敵対勢力との間に軍事境界線ともいうべきものが引かれ、20年にわたってにらみあっていたということになるだろう。

 

・天皇陵と埋葬者の謎
天皇陵の問題は、現在「××天皇陵」と呼ばれている古墳のほとんどが、実際には埋葬者不明の古墳だということである。現在宮内庁によって管理されている天皇陵およびそれに関係すると思われる陵墓は総数で896にも及んでいるが、考古学的に正確と思われるものはほとんどないといっていい。にもかかわらず、学術的な調査が入ることは基本的に許されていない。この点に関しては、作家の加治正一さんも同様のことを書いていたと思います。

 

いずれにしても謎が深すぎます〜(´・д・`)

花の館・鬼灯

 

2017月2月

 

これも続けて読んでみました。題名から僕が好きな室町時代の足利氏についてだろうな〜とは思っていましたが、その華やかな題名とは対照的に、もう末期も末期終わりかけの頃の話です。

 

司馬さんには珍しく戯曲(演劇の台本)の形式で書かれています。数人の登場人物の会話です。で、時折振り付けなんかも書いてあります。依頼によって書かれたものであり、実際昔俳優を使った演劇が講演されたようです。

 

登場人物としては、足利義政とその妻日野富子、義政の弟義視、遊女嬉野、残忍な足軽大将その他数名です。時代としては応仁の乱真っ最中です。義政は京を起点に起きた乱や政治に嫌気がさし現実逃避をしています。一方悪妻富子は義政の情けなさからなのか、一切の政治を取り仕切るが乱を終息を目指すどころか、それを利用した金儲けにいそしみ、自分の息子を次期将軍につけるのに躍起になっています。そこに弟義視が巻き込まれるというものです。大河ドラマの花の乱に出る三田佳子さんや市川團十郎さんを思い出します。多くの人が戦や食糧難でなくなっているというのに自分たちは花の御所でのんきに贅沢な暮らしをしているというのは、まさにフランス革命前のベルサイユ宮殿ブルボン朝と重なる部分があります。

八咫烏

 

2017年2月

 

久々に司馬遼太郎さんの小説を読んでみました。「果心居士の幻術」という短編集の中のひとつにあった作品です。今、私が興味ある時代は南北朝時代と幕末なのですが、共に天皇とは何なのか?という共通の疑問点が出てきます。

 

いわゆる現代までに続く天皇について私たちが教科書、学校で教わったことは、天照大神(伊勢神宮に祀られている)を祖先とする血筋をひく尊い存在であるということです。また八百万の神を敬う神道(神社)のトップであり、国民のために儀式を行うものです。

 

古事記、日本書紀にはその天皇の祖先なる人が九州の日向国に降臨したと書いています。

 

この「八咫烏」は司馬さんとしては珍しく古代の歴史に触れており、要するに神武東征についてのフィクションです。ここで興味深いのは、日本を最初に支配下に置いた出雲を拠点とし、大和にも領地を持つ出雲族と次に日本にやって来て九州を拠点とする海族(わたつみぞく)の争いです。その海族が紀州に上陸した時、道案内をして大和へ連れていったとされる八咫烏を人間として書いてある点です。確かに烏が道案内する

 

なんて、おかしな話なので、こっちの方がリアリティがあるなと思いました。

 

以前、別の本で読んだのですが、縄文人と弥生人は全く別の部族だったと言うことです。縄文人は日本に元々いて文字も持たない未分化な部族であり、弥生人は大陸から渡来した文字を使えたり、鉄を作れた文明的な部族であったというものです。

 

この小説でいう出雲族とか海族というのはそういう弥生人のことを指しているのではないかと思います。

幕末 戦慄の絆

 

2016年6月

 

加治さんの禁断の書シリーズ また読んでしまいました。
今回で最後ではないかとおもわれます。
今回は幕末に公武合体のために重要な使命を果たした皇女和宮の4つの像になぜ左手がないのかという疑問を深く追及しています。
孝明天皇、和宮、有栖川宮たる仁親王、出口王仁三郎、旭山の関係性をよく知ることができました。
今回もいわゆるフィクションの形式で書かれているのですが、ちゃんと研究し取材しているのがよく分かります。特に兵庫県の博物館の倉庫に眠っている和宮の像を見学に行ったた時の許可申請やら実際に見学したときの職員の対応の悪さ、アサヒビールの吹田工場での旭山神社とか旭山記念館について力士旭山についてへの質問に対する歯切れの悪い回答はこと細かく書いてありリアリティーがありました。
日本人はものごとを深く考えない人種だというのはその通りだと思いました。歴史というのは勝者が改竄していくものです。今後、僕らが教科書で教わる歴史に疑問を持ち考えていく人が増えたら明治維新についての真実も明らかになるかもしれませんね。

世に棲む日日

 

2016年6月

 

今回は去年末帰省したときにに親父から貸してもらった司馬遼太郎の本を読んでみました。去年の大河ドラマが吉田松陰の妹が主人公のものでしたが、遅ればせながら今ごろ読みました。それにしても何でそんなマイナーなところにスポットライトを当てるんだと今さらNHKの選択に疑問がわいてきます。ストレートに吉田松陰とか高杉晋作で、いいやんと。

 

まあそれはさておきこの小説は前半を
吉田松陰、後半をその弟子高杉晋作を主人公としています。4巻で終わるので龍馬がいくや翔ぶが如くのような長編ではないので読みやすかったです。

 

この中で深く印象に残ったところをかきます。吉田松陰はご存知の通り幕末長州藩の兵学教授で私塾松下村塾で多くの志士たちに影響を与えました。元々は兵学つまり海防、国土防衛を任されていました。攘夷思想家でもあり孟子を信仰しており行動こそが最も大事としていました。この前家族と行った長崎の平戸にも遊学していようです。生涯妻を持たなかった。生殖行動を絶ってこそ、その精神は狂になり、たかめられるのだと信じていました。アメリカ船への密航を企てたことや、開国派の老中間部氏暗殺を企てことをばか正直に取り調べ官に告白したことによって斬首となってしまいます。牢にいる時高杉晋作と手紙のやり取りをしているのですが、「死して不朽の見込みあらば、いつでも死せよ。生きて後大成の見込みあらば、行きよ。」とさらに「人にはそれぞれ春夏秋冬がある。老いて死ぬ人も幼くて死ぬ人もそれぞれの春夏秋冬があるのだ。人生は長い短いで量れない。」と言ったそうです。達観した生き方と思うと同時に自分には絶対できないなと思いました。要するに自分の死を礎にして若い長州志士たちに幕府を倒すために立ち上がって欲しいと願ったんでしょう。

 

高杉晋作ですが、松陰には久坂玄瑞の次に評価されていたようです。「君は私や久坂のような思想家ではなく現実家だ。時が来るまでは家族を持って普通に暮らしていたほうがいい。」と言われ悔しい思いをしたようです。後に高杉は日本初の無階級兵団の奇兵隊を創設し、攘夷戦、長州内俗論党戦、幕府戦を戦い勝利に導くのですが、そのことも松陰は見通していたのではないかと思われます。まあ簡単に勝利に導いたと書いてますが、実際はそう簡単なものではありませんでした。当初の攘夷という思想を中国の上海に渡った時みた疎開での西欧各国の技術力の高さを見て捨ててしまい、開国に方向転換します。この考えを理解できない、攘夷思想で集まった元々の仲間達によって今度は自分が命を狙われるようになります。そのため九州や四国に亡命することもありました。また高杉は歌や踊り詩歌、芸者遊びが好きだったようです。

 

松陰も高杉も若くして死にますが、自分よりも若いものが日本を変えるために懸命に生きたことを思うとなんとも言えない気持ちになります。

西郷の貌

 

2016年5月

 

加治将一さんの本を久々に読んでみました。一応フィクションということになっているが十分に調査したあとが見られる。西郷隆盛の顔はよく皆さんがご存知なのは教科書に出てくる外国人キヨッソーネが書いた肖像画と東京上野の銅像だと思います。しかし、これは本物ではないとも言われています。写真は1枚も残ってないと言われており、また肖像画も従兄弟の大山巌と弟の西郷従道から想像して書かれたものだそうです。銅像に関してはその除幕式に出席した西郷の妻はこんな人私の旦那ではないと言ったようです。以前加治さんが書いた「幕末維新の暗号」「龍馬の黒幕」に明治維新の立役者達が一挙に写ったフルベッキ写真というものが取り上げられてあました。それに西郷らしき人物が写っており、肖像画や銅像とは違った顔をしていました。今回の小説ではもう一枚の写真薩摩藩士13人撮りについて検証しています。また西郷の消された理由として、征韓論で大久保、岩倉らと意見が割れたことが表の理由となってますが実は江藤新平、板垣退助らとともに国家の代表者は選挙による民主化を進めようとしたのではないかと言うことに言及している。明治政府による偽造は今回の西郷の肖像画、銅像だけにとどまらず、他の重要なこともありそうである。今後も加治さんの小説には注目したい。

箱根の坂

 

2016年2月

 

久々に司馬さんの本を読んでみました。戦国時代の幕開け的武将、のちに北条早雲と呼ばれた人の話です。この本を読んで初めて知ったのですが、北条といってもあの源頼朝に支えた執権の北条氏ではないということです。のちの早雲は元は足利将軍家の行儀作法を指南する役職を持った伊勢家の生まれで九男ということで家を継げないため鞍作りをしていたそうです。この伊勢新九郎は足利義政の弟義視の申し継ぎ衆をしており、京の政情に明るく、幕府における将軍の威光に陰りが見えてきていることに気付きました。腹違いの妹で好意を抱いていた千萱ちがやが、足利一門の駿河を領する今川義忠に嫁いだことがターニングポイントになります。この千萱が今川家の嫡男龍王丸を産みますが、義忠が戦のため若くして死にます。残された千萱とその子供が駿河の跡目争い政争に巻き込まれ命を危なくすると考えた新九郎はわずかな供とともに千萱達を補佐するため駿河に向かいます。駿河の東の端、伊豆との境に小さな城興国寺城を拝領し、そこを最初の領地としました。このころ名前を早雲庵早瑞としました。また農民からの年貢はとても安く、生活に困窮しましたが自分も家臣も節約してすごしました。龍王丸が成人して幕府が認める守護になる間、他のライバルとの政争や外からは領土拡大を目論む関東の管領扇ヶ谷上杉氏と駆け引きすることになります。この時、上杉氏の家臣で江戸城を任されている大田道灌と会談し友情が芽生えたとのこと。これからの世は農民や地侍が主役になると意見が一致したそうです。何とか龍王丸を守護今川氏親にできた後、伊豆より東に目を向け今川家のために領土を拡大していくことになります。最初に手に入れた伊豆の拠点に執権北条氏の残党が住む北条と呼ばれる地がありました。そこに住んでいることから早雲は北条殿と呼ばれることになりました。実際に北条と自称するのは息子の代からだそうです。早雲の代では相模まで領土を広げます。息子、孫の代では今川家と縁を切り関東に勢力を広げることになります。

本能寺の変 431年目の真実 と 信長を殺した男

 

 

2021年2月

 

親父が読んでた本をもらって読んでみました。作者は明智光秀の子孫である明智憲三朗さんという方です。この本今結構売れているんですね〜知りませんでした。これまでみなさんが知っている本能寺の変というのは、これまで信長の家臣である明智光秀が信長からパワハラまがいの嫌がらせを受けて、それを恨んだ光秀単独による突発的な犯行というイメージが強いと思います。しかし、作者は深く調査し、これらをくつがえらしています。まず、光秀ははじめは将軍足利義昭の家臣細川藤孝の名もなき家臣から頭角を表してきたということ。光秀は美濃の斎籐道三により追放された土岐氏の血をひいており、衰退した土岐氏の再興を考えていたこと。信長、光秀が仲が悪かったということは豊臣秀吉が書かせた「惟任退治記」や「信長公記」による情報操作であるでまかせだということ。光秀は信長の日本統一後、朝鮮、中国に攻めこむということを不安に思っていたということ。本能寺の変の数年前、信長は富士遊覧としょうして家康領を視察して光秀に攻めこませることを考えていたこと。本能寺の変当時、信長は家康を堺に呼び寄せて最も信頼を寄せる光秀に暗殺を指示していたこと。光秀は土佐の長曽我部氏と親類縁者になっており織田軍の長曽我部領侵攻を止めたかったこと。本能寺の変は光秀、家康、細川藤孝が共謀したことであり、秀吉とも繋がっていた藤孝が途中で光秀を裏切ったということ。秀吉は藤孝からいち早く光秀謀反の情報を受け取り中国大返しに備えていたこと。これらを当時の資料をもとに解き明かしていくというものでした。なるほどな〜と思い、最近行った比叡山の坂本の町を見下ろす位置に天海の住居跡があったということから、やっぱり天海=光秀説もあながちないことはないなと思いました。

 

この小説を漫画化したものが、藤堂裕さんの描いた「信長を殺した男」です。全8巻で完結ですが、続編があるようです。

神々に告ぐ

 

2015年4月

 

久しぶりに安部さんの小説を読んでみました。「蒼き信長」では青年時代から桶狭間の戦いまでのはつらつとしたエネルギッシュな信長を描き、「信長燃ゆ」では本能寺の変に至るまでの信長と近衛前嗣(さきつぐ)との駆け引きを描いていました。この近衛前嗣、五摂家筆頭で関白という位にありながら、朝廷の権威復興のためならかなり行動的という一面を持っています。この近衛前嗣を主人公として若き日の苦労から信長との出会いまでを描いた物語です。前嗣の同士としては、従兄弟である足利義輝が登場し、剣豪将軍ではあるが三好家の台頭により京を追われ、近江の朽木谷で京奪回と足利家の復帰をねらっています。ライバルとしては三好家の松永久永が登場し、前嗣の行く手を阻むという展開です。ここにフィクションとおもわれるが前嗣の恋なども絡んでいく感じです。天皇、公家とはどんなものかというのが分かりました。この物語で出てくる神護寺に言ってみたくなったな〜

 

次は、明智光秀の子孫である明智憲三郎さんが書いた「本能寺の変 431年目の真実」を読んでみようと思います。

龍馬の黒幕

 

2015年2月

 

先程の明治維新の暗号に引き続いて加治将一さんのシリーズを読んでみました。思い出しながら、ちょっとずつ書くんで、何度か更新します。読みづらくてすみません。坂本龍馬はよく知られている通り、幕末の土佐藩士で幕府を倒す原動力となった、薩摩藩と長州藩の同盟を成立させた稀代の人物です。にもかかわらず、明治の世を見ることもなく京都の近江屋で何者かにより暗殺されてしまいました。定説では京都見廻り組の今井信郎が殺害犯となっています。しかし今井の供述にはあいまいなところがあり何とも疑わしい。そして一番おかしいのは今井を犯人と認めている明治政府が彼を厳罰には処していない点です。ここを起点として、龍馬と彼を取り巻く人物の幕末の時代背景を探って行ってます。まず最初の疑問にあげているのは龍馬は土佐藩を脱藩しているのにもかかわらず、土佐に残した家族に何のおとがめもない点です。当時脱藩というものは非常に罪が重い犯罪として扱われていました。ということから、龍馬は土佐藩公認で脱藩したのでは、と作者は推測しています。何のためにかというと江戸へ剣術修行と表には言っておいて、その実は諜報部員として幕府の情勢や他藩の動向を調べ土佐藩に報告していたと。こういった潜入調査は龍馬のような下級武士が向いていた。何故なら他藩で潜入がばれて捕まってしまった時、藩としては私達はそいつとは何の関係もないと簡単に見捨てることができるからだ。脱藩もその時に備えた布石にすぎない。ただ土佐藩にとって有益な情報をもたらす限りは、藩も金銭面でバックアップする。ちょっと話は飛ぶが、薩長同盟には長崎に住む武器商人グラバーが大きく関与している。五代友厚と寺島宗則をかいして薩摩に接近し、また伊藤俊輔と井上馨をかいして長州に接近している。グラバーはジャーディンマセソン商会の日本支部長を勤める傍ら、フリーメーソンにも所属していたようだ。龍馬はグラバーと出会うことで会社経営、貿易、株式について学んだ。実は薩長同盟はグラバーが思い描いたものを龍馬に実行させたのではないかと作者は考えている。グラバーは革命戦争そして薩長が勝つことを期待していた。何故なら自分が輸入した武器を薩長に売ることで莫大な利益が得られるからだ。龍馬は当初武力による倒幕に賛成だったが、土壇場になって武力による倒幕に反対し徳川家を残すような運動をしだす。長州も薩摩もたまったものじゃない。土佐藩の陸援隊でさえもばりばりの武力倒幕派である。ということで、あの時期の龍馬は孤立無縁の状態だった。ということで、龍馬を殺した真犯人は…と結論づけている。殺害犯の中には明治政府の高官にまで出世したものもいる。彼らの中でこのことはタブーであり、今井信郎というかっこうの人物に全てをなすりつけ一件落着としたのだろう