ブロガー列伝さんの著作「信州往来もののふ列伝」

 

2020年2月

 

今回はアメブロ上でコメントのやりとりのあるブロガー列伝さんの著書を紹介させていただきます。

 

列伝さんは長野県のタウン誌に史跡とその物語を投稿連載されておられ、それを冊子化されたということでした。

 

今回の「信州往来もののふ列伝」では長野県、岐阜県、山梨県に関わりのある歴史上の人物とその史跡を写真入りで記述してあります。

 

その主な人物は武田信玄、真田昌幸、木曽義仲など出身地が信州の者から、坂上田村麻呂、平将門、上杉景勝など信州で足跡を残した者と多岐に渡ります。

 

私が九州出身で、現在関西に住んでおり、中々足を延ばして行くことも難しいのでこの本で得られて情報は非常に役に立ちました。

 

誰もが一応は聞いたことある人物なのですが、その詳しいエピソードをユーモラスを交えながら、更に現在のその史跡の周りの様子なども交えながら楽しむことが出来ました。

 

読んでみて感じたのが、木曽義仲とその主従に関する記述は多く、列伝さんはお気に入りの人物なのではないかと勝手に想像した。間違ってたらすみません。木曽義仲に関してはその臨終の地、滋賀県大津市膳所まで訪れておられる。このように信州に関わらず関連する他県にも足を延ばしておられ、その取材への力の入れようを感じました。

 

私もいつかメールマガジンを書籍化したいと考えているので大変参考になりました。

 

次回作も出版される予定ということなので心待ちにしております。

高木彬光「成吉思汗(チンギスカン)の秘密」と瀬下猛「ハーン〜草と鉄と羊〜」

 

 

2019年10月

 

高木彬光氏の「成吉思汗の秘密」を以前父親から借りて読んだことがあり、チンギスハン=源義経なんだというイメージがなんとなく頭の中に残っていました。最近モーニングで連載されている瀬下猛氏の「ハーン〜草と鉄と羊〜」を読んでみて、あーこれこれ( ゚Д゚)こんなストーリーの漫画があったら面白いのにというのに、というものにやっと出会えました。

 

そこで実家の父に連絡して「成吉思汗の秘密」を送ってもらい、再び読見直すことにしました。

 

この物語は1958年(昭和33年)に書かれた、盲腸で入院中の探偵、神津恭介が暇を持て余していたので、旧知の仲の作家、松下研三そして東大文学部井村研究室の秘書大麻鎮子とともにチンギス=源義経ではないか?という謎を解き明かしていくものです。

 

このストーリーは戦前のベストセラー小谷部全一郎著「成吉思汗ハ源義経也」をモチーフにしている。なので小谷部氏の説を全面的に支持している内容となっている。

 

その主なものとして、

 

1、成吉思汗(チンギスカン)はニロン族、すなわち日の国よりきた人として蒙古に伝えられている。この「ニロン」とは「二ホン」のことではないか

 

2、モンゴル族キャト氏とは京都出身のことを表しているのではないか?

 

3、成吉思汗(チンギスカン)は別名を「クロー」と称した。これは「九郎判官」ではないか。また、軍職の名は「タイショー」として現代に伝わる。蒙古の古城跡では「城主はクロー」と称していたという言い伝えがある。

 

4、成吉思汗(チンギスカン)は「九つのふさのついた白い旗」を使ったと云われているいるように九をシンボル数として多用した。白旗は源氏の旗。また源氏の笹竜胆の紋も用いた。また日本式の長弓を用いて戦った。

 

5、成吉思汗(チンギスカン)の父「エスガイ」は「蝦夷海」から来ているのではないか

 

などがある。

 

またこの説を支持する理由として他に、

 

1、成吉思汗(チンギスカン)と源義経の成年は1159年あたり。元朝秘史にもチンギスの幼年時代は記載がほとんどない。

 

2、1178年成吉思汗(チンギスカン)はコンギラト族のデイセチェンの娘ボルテと結婚したと伝わるが、1178〜1187年当たりの動きは不明。1189年成吉思汗(チンギスカン)モンゴルを統一し「ハン」に即位

 

3、源義経は1180年に源頼朝と再会し、そこから1184年まで対平家戦に破竹の活躍をする。しかし、頼朝の怒りを買い、追放され、1189年に奥州衣川にて自害したことになっているが、その死に不審な点が多い。

 

4、東北、北海道に義経脱出?一行に関する史跡が多い。北海道のアイヌの言い伝えに義経に関するものがある。

 

5、藤原泰衡が義経を討ったことになっているが、その首を鎌倉に運ぶ日数があまりにかかりすぎており、敢えて首を腐らせて誰か分からないようにしたのではないかという疑いあり。もともと義経を逃がす算段になっており、再三の引き渡し要求をしてくる頼朝に対して、義経を殺害したと見せかけて偽の首を引き渡したのではないか。
6、ロシアのウラジオストックから120Kmほどのところに、蘇城(スーチャン)という古城の遺跡があり、日本の武将が築いたという伝説が残っている。その武将は後に中国本土に攻め入って大王になったという。

 

7、元、明のあと中国を平定した北方異民族出身の清王朝皇帝乾隆帝は自分の祖先は日本の清和源氏源義経であり、そこから清にしたと発言している。そういう書物がある。

 

そして、この説に反対する中島利一郎氏、金田一京助氏らもいますが、江戸時代あたりから研究されていたようで、支持者は以外に多く新井白石、林羅山、徳川光圀、シーボルト、間宮林蔵、シラク元仏大統領らにも支持されている。

 

また、高木彬光氏は独自の意見として、

 

1、東北に金の産出地はなく、奥州藤原氏の繁栄の理由として北海道やシベリアの金鉱を得るルートがあったのではないかという説をあげている。義経は再起のために軍資金を求めて北海道からシベリアに渡ったのではないかと考えている。

 

2、成吉思汗(チンギスカン)の字に意味があるとして、遠くモンゴルの地で良きこと「吉」を成し遂げ、水干(静御前)を思うということではないかと考えている。

 

小谷部氏の「成吉思汗ハ源義経也」が出たころは戦前で満州国建国や移住があった時代であり、そういう背景もあり満州国の国主を清朝のラストエンペラー愛新覚羅溥儀が務めていたこともあり流行ったそうです。しかし、戦後にはそのブームも過ぎ去っており、高木彬光氏の「成吉思汗の秘密」はそこまで話題にならなかったとのこと。モンゴルでも当然この説は全く認めていません。

 

瀬下猛氏の「ハーン〜草と鉄と羊〜」はこの説を踏んだ上で、源義経がチンギスカンとなり大陸で大暴れするというものになっています。

 

中世に世界最大版図のモンゴル帝国を気付いたチンギスカン、今後また新たな発掘調査で事実が解明するかもしれませんが、ロマンがあり、すごいワクワクしますね。

中国大河ドラマ「武則天」

 

2019年9月

 

誰か詳しくブログに書いている人がいましたが、まさに武則天役のファン・ビンビンさんのとてつもなく長いファションショー、プロモーションビデオというのが一番当てはまると思います。

 

武則天について僕が知っているのは、中国の唐の時代の人で中国史上唯一の女皇帝であり、唐を分断する周王朝を立てるが、残虐非道で結局一代で終わったということです。

 

その程度の知識しか持っていなかったので、武則天がどうやって成り上がっていったのか気になりずっと見てきました。

 

簡単に説明します。

 

元は武如意と言い、唐の優れた2代皇帝、李世民に仕える下級女官でした。そこから、李世民にその容姿と明朗快活な性格をみそめられ妾の一人になります。李世民はやがて死にますが、今度はその末息子であり、後の3代皇帝となる李治といい関係になるのです。う?ん、この厚顔無恥というか何というか・・・まあ言い様によっては先見の明があるというか。
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武如意

 

しかし、もちろん反対勢力もいるのです。王朝内という強者、実力者揃いのなか、当然命の危険もあるわけです。武美娘(ぶびじょう・そのころはそんな呼び方)は皇帝という大きな後ろ盾を持ち、また周囲の利用できる人間は上手に使っていき、狡猾に一人一人敵を排除していきます。一番の大きな敵は、李世民時代を支えた関隴集団という既得権益者の長孫無忌。彼の排除についに成功するのです。李治には正妻がいましたが、それも陥れて、追い落とし、ついには自分が正妻にのし上がるのです。

 

李治も何でこんな性悪女を好きになったかなー?その点に目をつぶれるほど、夜の床上手やったんやろうか?確かに巨乳であったという記述は残ってる様です。しかし、

 

このドラマ見ていくたびに主人公のファンビンビンちゃんが嫌いになっていきます。

 

そして、正妻になると病弱な李治を放っておき、すんごい政治介入していくのです。もうやりたい放題。ここまで来ると誰も彼女を止められない。確かに、この李知の時代に唐は最大版図になりますし、武則天が登用した人物の中には有能な人もおり、人を見る目はあったようです。

 

李治が死ぬとついに自らが皇帝を名乗るのです。武周の始まりです。
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李知の最期のシーン

 

このドラマ、だいぶ美化して作ってありますが、実際はだいぶ残酷なこともしてるし、最終的には夫婦仲もだいぶ悪くなって、李治も武美娘を遠ざけようとしたようです。権力の頂点には立ちましたが、本当に幸せだったんでしょうか。
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その後、彼女の死後、皇帝の位は外され、李知と一緒の墓に入りますが墓石には何も書かれなかったそうです。

 

武周は一代で潰え、唐が復帰するのです。彼女の孫は唐の最盛期を築く玄宗皇帝となります。

 

この頃、遣唐使のころですから、日本はというとまだ平安時代。すごい文化の遅れを感じます。三国志の時代に卑弥呼の時代ですからね。

 

しかしこのドラマお金かかってるやろなー
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十字軍物語とキングダム オブ ヘブン

 

 

 

2019年7月

 

今回は初めてですが、西洋の歴史に目を向けてみました。塩野七生さんの作品です。

 

この本を読み進めるうちに、同時代を再現した映画として「キングダム オブ ヘブン」という作品があることも知ったので観るみました。

 

昔、高校の世界史で十字軍を習ったことがあるのですが、キリストにまつわる聖地のエルサレムをイスラム側から取り戻すためにヨーロッパ側が送った軍隊という大まかなことしか覚えていませんでした。

 

現在でもイスラエルはユダヤ人とアラブ人の争いが絶えません。なぜこの地を巡ってこう何百年も争っているかというと、エルサレムにはキリスト教側の聖地であるキリストが磔にされたとされる場所に立つ聖墳墓教会とイスラム教側の聖地岩のドーム、アルアクサ神殿があるからです。

 

この争いの発端となった十字軍について知りたいと思いました。

 

西暦1095年時のローマ法皇ウルバン2世はフランスのクレルモン公会議で、ヨーロッパ各地で起きている戦いを休戦し、イスラム側から攻められている東欧のビザンチン帝国救援と聖地エルサレム解放を訴え、多くの賛同を得、十字軍派遣が決定した。

 

最初は隠者ピエールという人物に率いられた全くの戦士でない老若男女の貧民十字軍だったが、当然イスラム側に蹴散らされて霧散した。次いでヨーロッパ各地の諸侯による第1次十字軍は、ゴドフロア、ボエモンド、サンジル、ボードワン、タンクレディらの活躍で破竹の快進撃を続け、イスラム側の諸都市を落とし、1099年についにエルサレムを陥落させた。そして周辺のアンティオキア、エデッサ、トリポリを含む十字軍国家が形成された。

 

しかし、本当に大変なのはここからでした。第1次十字軍発足当時に比べて各地での戦闘により兵力は激減しており、常にこの寡兵に悩まされます。ならば、ヨーロッパから増兵のために補充すればいいと思いますが、当時はまだどの国も封建時代で各国の思惑もあり思うように行きませんでした。最初はエルサレム解放という大きな目標に向かって各国各諸侯が一致団結していましたが、一旦落ち着くと今度は領地や覇権の争いといったことが起きてきます。

 

イスラム側からの反撃が激しさをます中、エルサレム王国の最初の王であり、十字軍国家のリーダーであったゴドフロア、2代目の王、ボードワンは奮戦します。しかし、1187年テンプル騎士団、聖ヨハネ騎士団からなる宗教騎士団やイタリア海洋都市による海軍の活躍も虚しく、若き癩王(癩病に罹っていた)ボードワン4世が25歳の若さで死去すると、次のルジニャンの時、イスラムの英雄サラディンによりエルサレムは奪還されてしまいます。キリスト教側がエルサレムを手中にできたのは88年間でした。

 

この十字軍国家のエルサレム陥落あたりを題材として描いたのが映画キングダム オブ ヘブンでした。主人公はボードワン4世を支え、その死後もサラディンとのエルサレム防衛戦を見事に戦い抜いた宰相バリアーノ イベリンを人気俳優のオーランドブルームが演じています。当時の生活とか時代背景が分かって面白かったです。特に攻城戦に関しては中国の戦い方に似てるなと思いました。イベリンがボードワン4世の姉であり、ルジニャンの妻であるシビラと恋仲になるのですが、この辺は盛り上げるためのフィクションかなと思います。

 

その後の十字軍はエルサレムを再び奪うために何度か結成されますが、結局うまくいきませんでした。

 

現在、塩野さんの十字軍物語は2巻まで読み終わりましたが、4巻まであるようです。女性の歴史小説は初めて読みましたが、当時の挿絵や攻城戦の軍の配置図もあり、とても読みやすかったです。

軍師リュ・ソンリョンと豊臣秀吉の朝鮮の役

 

2019年2月

 

豊臣秀吉の朝鮮の役について、本などでも余り取り上げたものがなく、特に映像においては日本のものはほとんどありません。最近の大河ドラマでも日韓関係のデリケートな問題もあり、あえて当たらず触らずな表現しかしていません。

 

そこで、ゲオのDVDのコーナーをうろうろと探していたら、韓流のコーナーに軍師リュ・ソンリョン?イ・スンシンを登用した男?というものを見つけました。

 

私は女性たちの間で韓流ブームが流行っている間(ヨン様が最初か?もうだいぶ前になるが)全くといっていいほど、それを見ていませんでした。BoAとかKARAは聞いていましたが。

 

どうやら、このリュ・ソンリョンなる人物は豊臣秀吉がまさに日本の統一を終わらせて、次の目標を朝鮮、明に定めた時の、李氏朝鮮時代の王に仕えるお偉いさんだということでした。そして、DV D全部を借りて見ていませんが、要するに最初は秀吉率いる日本軍に朝鮮はなすすべも無く蹂躙を受けますが、明の助けもありつつ、水軍の将イ・スンシンの活躍もあり、遂には日本軍を退けましたというお話なのでしょう。

 

まあ日本嫌いの韓国の制作なので、日本側は適当に、そして傍若無人なくらい残酷非道に描かれるのかな?と思ってました。

 

しかし、日本の武将を韓国人俳優が演じているものの(これは日本人俳優を使って欲しかった)、鎧、甲冑もしっかりと各武将のものを再現していましたし、確かに攻城戦は凄惨を極めましたが、小西行長は戦いの前に停戦交渉をやったというのも史実に忠実に再現していました。

 

第1軍の大将小西行長
宇喜多家に仕えていた商人の子。秀吉に気に入られて家臣となった。秀吉は朝鮮の役で、小西行長と加藤清正を競わせた。

 

前田利家
秀吉の幼少時から友人、ライバルにして、晩年は秀吉政権の重鎮。5大老の一人。彼と弟の秀長を失った政権は陰りを見せて行く。

 

豊臣秀吉
この役者さんがまた小憎たらしい演技するんです。でもうまいな?この写真はどう見ても千鳥の大悟にしか見えない。

 

石田三成
秀吉の家臣の近江派の筆頭。この朝鮮の役では兵站を担当した。加藤清正ら尾張派とは反りが合わなかった。

 

加藤清正
第2軍の大将。朝鮮では虎を狩ったとも言われている。朝鮮軍の兵士の耳を削いだとも言われ現在もその耳塚が残っており、今でも韓国人から、秀吉とともに嫌われている。福島正則ともに秀吉の親類でもあり、出世頭。賤ヶ岳七本鎗の一人。熊本城城主。関ヶ原の戦いでは石田三成嫌いのため、家康の東軍に味方したが、清正がなくなると家康によって加藤家は取り潰された。

 

秀吉が朝鮮出兵の拠点とした、今の佐賀県にある肥前名護屋城。その跡は百名城になっているが、今は何もない田舎です。訪問したブログを載せておきます。

 

https://ameblo.jp/konokuni3/entry-11882618948.html

 

当時は何万もの兵を連れた大名が駐屯しており、京都をしのぐ大都市として栄えたようです。

 

しかし、このドラマ、韓国では、人気あったんでしょうか?あまり思い出したくない負の歴史みたいなものですよね。反日感情を駆り立てるにはいい教材とは思いますが。

 

韓国制作ということもあり、やはりそちら目線で進んでいくが、同時に日本の内情も細かに再現しているので、朝鮮の役を詳しく見て知りたい人にはお薦めの作品です。

 

村上海賊の娘

 

 

2019年1月

 

以前、村上海賊の娘という和田竜さんの小説を読みました。

 

最近、マンガになっていたので、それも読んでみました。

 

この村上海賊というのは、戦国時代に広島県の南部瀬戸内海沖にある能島を本拠地とする土豪です。

 

この小説の主人公、村上武吉の娘、景(きょう)は実在の人物ではありませんが、それを取り囲む多くの実在の人物達と共に活躍します。

 

村上水軍は中国地方の一大勢力、毛利元就の毛利家に協力して、今の大阪湾付近の木津川河口で織田信長の織田軍と戦いました。(毛利側の小早川隆景は信長包囲網に参加するべきかどうかのジレンマに悩まされます)信長に包囲された石山本願寺への兵糧入れのためという名目のためです。

 

史実では、第一回目の戦いは毛利家の小早川水軍が得意とする焙烙玉の威力の前に、織田軍の真鍋水軍を撃破します。

 

第二回目の戦いはこの焙烙玉対策として考えられた鉄板を貼り付けた船により織田側の九鬼水軍がリベンジを果たします。

 

物語は第一回目の戦いまででしたが、とにかくこの破天荒な男勝りの景がとにかく強い。景と毛利家の児玉就忠や真鍋家の真鍋七五三兵衛(しめのひょうえ)や雑賀孫市とのやりとりも面白いです。

 

詳しくは読んでみてください。

 

能島ですが、愛媛県今治市にあるこんな小さな島です。これが、因島、来島と連なってその辺りを水軍が支配していました。能島城跡は続100名に認定されました。いつか、旅行も兼ねて行ってみたいです。

 

 

 

宇喜多の捨て嫁

 

2018年9月

 

来月、友人の結婚式で岡山に行くことになりました。そこで、ついでに岡山城に寄ろうと思い、岡山と言えば宇喜多直家だと思い、ふらっと立ち寄った本屋に面白そうな本があったので買ってみました。木下昌輝さんの宇喜多の捨て嫁という本です。木下さんの本を読むのは初めてです。

 

宇喜多直家といえば、私が知っている知識は、備前、今で言う岡山県の戦国武将で宇喜多秀家の父というものしかありませんでした。大河ドラマの軍師官兵衛ではたしか陣内孝則さんが演じてたと思います。一癖も二癖もある老獪な武将のイメージです。

 

あと、司馬さんの播磨灘物語に主家殺しでしのし上がった武将であると書かれていました。毛利元就、尼子経久と合わせて中国三大謀将と言われているようです。

 

時代は戦国、中国地方の覇者毛利元就と尾張から全国統一を目指す織田信長が激突しようとするあたりです。

 

宇喜多家は没落した名家赤松家の家臣の天神山浦上家の家老の家系でした。

 

序盤は浦上家の重臣、後藤家に嫁いだ直家の四女、於葉の視点から見た直家について書かれています。そして、中盤は直家自身の視点。後半は直家付きの小鼓の名人江見河原源五郎の視点から書かれています。

 

話が前後してちょっと分かりにくいところがありましたが、それも新鮮でした。

 

於葉にとって父、直家は自分の領土拡大のためなら、妻や娘を使い裏切り、暗殺何でも使って他家を乗っ取る、非情の人、鬼、悪魔のような印象を与える書き方でした。まあこの下克上の時代、名のある武将なら多かれ少なかれやっているような気もしますが…この小説では暗殺のことをしものすると言っています。

 

しかし、直家の視点からだとまた変わってきます。幼少のころ、浦上家の家老であった直家の祖父、能家は勢力拡大を危うんだ主家浦上家により殺され、父とともに没落します。その後流浪する不遇な時代を過ごしますが、少年時代に再び浦上家への士官が許され、浦上宗景の小姓として仕えます。武功や調略により出世し家老の一人へと成長します。非情の調略も幼少時代の経験より、「やられる前にやる」という生き残るためものだったように思います。遂には主家浦上家を天神山城から追い出し備前を統一します。

 

最後には体中の刀傷が膿んでそこから、血膿が溢れ出すという病気、尻はすが悪化して亡くなります。まるで、これまで屠ってきた同僚、敵将達の怨念が体中に現れてきたかのような描写でした。

 

直家を支える、三家老、岡平内、長船又三郎、富川平介や、腹違いの兄弟、宇喜多忠家、刺客岡剛介などの働きも面白かったです。

 

直家は敵将、金光宗高の居城を奪い、本拠地をそこに改め岡山城とし、山陽道を整え岡山の街を整備して繁栄させました。

 

来月の訪問が楽しみです。

アンゴルモア元寇合戦記

 

 

2018年8月

 

7月から夜中に始まったアニメですが、最初はよく分からず見てました。

 

どうやら、鎌倉時代に起きたモンゴル帝国の日本への攻撃を対馬に生きる人達を中心に描いたものでした。

 

歴史好きとしてはかなり惹かれました。特に史実を元にしてるので。

 

主人公は、朽井迅三郎(くちいじんざぶろう)。架空の人物です。島流しで対馬にやってきた、元鎌倉御家人。元寇に巻き込まれ、異国人との戦いをすることに。

 

他にも少弐景資(しょうにかげすけ)。九州北部の守護。太宰府の責任者として元寇に対処する。迅三郎に対馬へ援軍を送ることを約束する。

 

対馬の地頭代で宗家の大将、宗助国。壇ノ浦で敗れた平家の末裔という。迅三郎に鎧を与える。
なんと…最初の方で蒙古軍にやられてしまう。

 

宗助国の娘。架空の人物、輝日(てるひ)。安徳天皇の血筋をひくという。
迅三郎たちと蒙古との戦いに果敢に立ち向かう。

 

作者のたかぎ七彦さんと輝日の声優のLYNNさん

 

オープニングテーマ曲「Braver」を歌うストレイテナーさん。とても絵にあっていてかっこいいです。

 

エンディングテーマを歌うSHESさん。こちらも耳に残る曲です。

 

対馬の位置ですが、九州の福岡と韓国の間にあらます。なぜか長崎県の一部です。

 

福岡県からは高速船で2時間かかります。魚もおいしいようなので一回行ってみたいです。

 

金田城(かなたのき)は続100名城にもえらばれました。

 

 

キングダムと達人伝

 

 

2018年

 

以前アメトークで面白いと言われていた、漫画「キングダム」を遅ればせながら読んで見ました。なるほど読んで行く度に引き込まれます。自分はフィクションは余り好まないのですが、調べてみますと登場人物もまあまあ史実通りということでした。

 

簡単にストーリーを説明しますと中国の春秋戦国時代、後に秦の始皇帝となる秦王・政(せい)とその部下でほぼ年も近い信(しん)の友情と戦いを通した成長の物語なのです。
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秦を支える丞相として呂不韋(りょふい)という人物が出てきます。彼は実は政の父親が趙(ちょう)という国の人質だった頃、まだただの商人であり大金をつぎ込みその信用を得、あの手のこの手を使って秦の昭王の世継ぎにすることに成功し、自分も同時に秦での権力を得たというかなりの知恵者でした。さらに呂不韋陣営には多くのやり手の文官、武官も多く実質、秦を牛耳っているといっても過言ではありません。これに政陣営も何とか対向しようと色々と画策しているというこれまで私が読んだところの展開です。
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丞相呂不韋 いかにもやり手の政治家みたい

 

この本とは別に「達人伝」という漫画もたまたま同時に読み始めました。これの作者王欣太(キングゴンタ)氏は以前「蒼天航路」という三国志の曹操の話を書いていて面白かったし、絵が好きなので今回読むことに決めました。

 

この達人伝ですが、時代は信たちよりは何十年か前ですが、壮子を祖父に持つ壮丹という青年が仲間の丹(あかし)の三侠とともに中国中にいる達人を集めて秦の中国制覇を阻止するというキングダムとは全く逆の立場の人達を描いています。
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壮丹

 

そしてこの物語にも同時代なので当然ですが キングダムと被る人物が出てきます。特に先程上げた呂不韋ですが、まだ商人時代です。
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商人時代呂不韋

 

こちらも眼光するどくただ者ではない感じです。

 

このように両漫画とも主人公以外にも魅力的なキャラクターが多く登場しいつも見るのが楽しみです。

尻啖え孫一

 

2017年4月

 

今回は初めてのケースですが、今年の始めにクリアした信長の野望で仲間になった鈴木重秀こと雑賀孫市(さいかまごいち)のことが気になったので、司馬さんの尻啖え孫市を購入し読んでみました。

 

ウィキペディアで調べてみたのですが、雑賀孫市についての短くしか書いてなく、あまり文献が残ってないのか詳細は分からないようです。ただ、紀伊国雑賀の庄の数部族を束ねる存在を代々、雑賀孫市という名を継いだということでした。鈴木氏は神武東征時に、大和への道案内した八た烏を先祖とするということで、家紋は八た烏です。また種子島に伝わった鉄砲が大坂の堺に伝わるのが早く、そこに近いということから雑賀衆は鉄砲を使った戦の技術に優れた。

 

小説ですが、豊臣秀吉と知り合って非常に仲が良かったとか、好色でどうしよもなかったとか、堺で出会った種子島家の血を継ぐ女性を雑賀衆の棟梁にしたというあたりはフィクションだと思います。しかし、孫市が本願寺に攻めいる織田軍を本願寺軍とともに追い払ったとか、10万近い雑賀城攻めの織田軍を散々に打ち負かしたというのは本当のようです。ただ領土的な野望はなかったようです。またこの頃親鸞が開いた浄土真宗が顕如が広める一向宗として相当はやっていたようで、雑賀衆もその信者が多かったようです。

 

孫市の豪快で戦上手なところが漫画の主人公のようです。ただ、女好きがひどいところがNHK大河ドラマにするにはどうかなと思います。まあ小説でフィクションだから許されるところですね。秀吉も家康も大概女好きだったんですけどね。