田辺城(京都府舞鶴市)と宮津城(京都府宮津市)
令和7年10月16日に長男の中学校の運動会があるということで、有休をとっていたのですが、雨天中止となったので1人暇を持て余していたので急遽京都北部に取材に行きました。
前から行きたいなーと思っていたところです。京都縦貫道を通って2時間弱くらいでした。まずは舞鶴市にある田辺城に行きました。

復元城門

城門
櫓部分が田辺城資料館になっています。

北櫓
櫓部分は彰古館と呼ばれ、こちらは「戦国武将細川幽斎の生きた道」という展示が催されていました。

天守台跡

現在は舞鶴公園と呼ばれています。

田辺城城郭復元図
この細長い縄張りを見ると長岡京市にある勝竜寺城を思い出します。
田辺城は細川、京極、牧野氏の居城として290年間領内統治の中心でしたが明治6年に廃城になりました。

心種園の古今伝授遺跡
田辺城籠城戦時に、細川藤孝が後陽成天皇の勅使に歌道の奥義である「古今伝授」(古今和歌集の秘事口伝の伝承者)の秘伝書を伝えた場所と伝えられています。

あやめ池から見る石垣

資料館の細川藤孝像
細川藤孝は1534年室町幕府の重臣三淵晴員(はるかず)の次男として生まれました。武人でありながら和歌、連歌などの多くの才能を待つ文人でした。有力な幕臣細川家に養子に入って、後を継ぎ、足利義昭を支えました。
その後、朝廷や幕府の内情に明るかったことから、明智光秀とともに織田信長に引き抜かれ支えることになります。明智光秀と共に丹波攻略を担当し、丹後の抑えとして宮津城、田辺城を築きました。長男忠興の正室に光秀の娘玉子(後のガラシャ)を迎えました。
しかし1582年光秀が信長に謀反し本能寺の変を起こした時、その誘いには乗りませんでした。その後の秀吉による大返しがあまりにもスムーズなことから、前々から光秀の謀反を知っており、秀吉と繋がっていたのではないかという説も聞かれます。
1600年に起きた関ヶ原の戦いの時、本軍は忠興が指揮し家康(東軍)に味方し不在の中、500の兵で守る田辺城で西軍15000人に囲まれました。藤孝は奮戦しますが数の不利はどうしようもありません。しかし藤孝は唯一の古今伝授の伝承者であったため、これを討死させることを惜しんだ後陽成天皇が仲裁し、西軍と和議が結ばれたのです。
その後、細川家は家康に支え、九州豊前の中津、小倉から肥後熊本に移り大大名として明治を迎えました。

竹屋芸屋台
江戸時代屋台の上で子供を主とした歌舞伎が屋台芸として行われました。現在でも田辺城まつりに使用されています。

藩校明倫館の門
天明年間に創立された藩校の門です。跡地は現在は明倫小学校になっています。

田辺城の御城印を資料館で購入しました。秋限定バージョンです。
その後、お昼ご飯を食べて、車で下道を通って宮津市に向かいました。30分くらいかかりました。
宮津城も細川藤孝、忠興の城ですが遺構があまり残っていません。観光案内所で少し説明をもらい、市街地を歩くことにしました。

宮津城太鼓門
宮津城の南側にあった城門。江戸時代にこの門の傍に時を知らせる太鼓櫓があったことにその名が由来すると思われる。明治6年の廃城令により城の遺構はことごとく壊されたが、唯一残る城の建造物として貴重である。現在宮津小学校の敷地内にある。

大村邸跡
藩政時代の武家屋敷である。

しらかべの道(旧宮津城の城壁復元)

巨石はこの南方80メートルあたりにある本丸入り口黒鉄門の袖石垣の1つである。窪みのある石は大手橋橋脚の礎石である。波状の石柱はこの北側波止場の船つなぎ石である。

一色稲荷社
丹後領主一色義清自刃の地。細川忠興により謀殺された一色義俊(細川藤孝の娘婿)の復讐戦に挑んだ一色義清であったがあえなく敗れこの地で自刃したと伝わる。

父が新聞に連載されていたという情報で知った本が発売になりました。「村上海賊の娘」を書いた和田竜さんの作品です。単行本が出たら読んでみたい。

カトリック丹後教会宮津聖堂
明治中期としては珍しいフランス風ロマネスク様式で木造、畳敷きで和洋折衷の教会です。

細川ガラシャ像
宮津城跡地方角を眺め、宮津の民の幸せを祈った姿が表現されている。
宮津城は当時最先端の技術を駆使して造られており、築城には城造りの名人と言われた明智光秀も深く関わっていたといわれています。光秀は琵琶湖に面した大溝城、坂本城の縄張の経験があること、水軍を持っていたこと、信長の右腕であったことから今後の中国地方攻めにあたって対毛利氏の戦略も熟知していたことを考えると、海城にすることを含めて宮津城の選地と縄張に光秀が深く関わっていたのではと考えられています。
玉子はここで忠興と暮らしますが、本能寺の変の後、謀反人の娘ということで離縁され、丹後の山奥深くに幽閉されました。これは忠興が玉子を守ろうとする苦肉の策に違いありません。2年後に秀吉に許されて再婚の形で細川家に戻りました。

宮津湾にそそぐ大手川

宮津市街地マップ
大手川の東側に宮津城があったといわれています。天の橋立はここから少し北西に行くとあります。

別日に行った時の天の橋立です。
この日はいい天気だったようですね。日本三景の一つです。夏には海水浴場になります。海水浴に行ったこともありますが水はなかなか綺麗です。

このように股のぞきで見ると龍が登っているように見えます。

宮津城の御城印を「道の駅海の京都宮津」の観光案内センターで購入しました。天の橋立と宮津城太鼓門が載ってます。

道の駅でクラフトビールと子供たちにサイダーを購入しました。

道の駅で名物カレー焼きそばとオリーブ茶を購入しました。
天気は曇りでしたが、なんとかもってくれて良かったです。大雨ザーザーだったら写真も微妙だし、歩きにくいので。
細川藤孝は正直いって明智光秀おしの私としてはあまり好きな武将ではないです。光秀を裏切り、世渡り上手であったところが。しかし、田辺城や宮津城は光秀が関わった城として見ておきたかったので今回取材しました。藤孝としても最初足利義昭に支えていたころは光秀とは比べ物にならないくらい高い地位だったのが、信長に支えた時、光秀の方が上になったことを気に食わなかったのでしょう。その辺の鬱憤があったのだと思います。
新宮城 和歌山県新宮市 続日本100名城
令和7年8月12日、13日で家族と和歌山旅行に行きました。そのついでに新宮市の続日本100名城である新宮城に行きました。
今回のお宿は勝浦町のホテル浦島というとこにしました。翌朝、ホテルの山上にある狼煙山の狼煙台跡に次男と行きました。ここに登る前にホテル内のエスカレーターを使います。最上部まで5分くらいかかるとてもとても長いエスカレーターです。

狼煙台跡から見る勝浦町の海の景色

狼煙台跡
幕末に作られたもの。異国船の出入りが多くなってきて、紀州藩が防衛のために築いた。

この亀さんのフォルムの浦島丸でホテルに連れてこられます。まさに気分は浦島太郎。

ホテル浦島の売りの一つ洞窟温泉も堪能できます。硫黄のにおいたっぷりの気持ちいい温泉から太平洋の荒波の景色が美しいです。

翌日は、近くのブルービーチ那智で海水浴を楽しみました。長男とは大きくなってなかなか一緒に旅する機会がなくなってたので良かったです。普段はそうでもない次男と仲良く遊んでいたので嬉しかった。
その後、新宮城に向かいました。子供たちはくたくたで車で寝ていたので、嫁と行きました。

新宮城の入り口

二の丸石垣

本丸石垣
矢穴と刻印があるようですが写真ではよく分からないですね。

天守石垣

天守から見る熊野川の景色

本丸渡櫓門
本丸の入り口に巨石を使用した高度な切り込み接ぎのどっしりした門跡と枡形虎口が残っています。

与謝野鉄幹歌碑

天守台

丹鶴姫の碑
新宮城は別名、丹鶴城という。もともとこの地に源為義と熊野別当の娘の子である丹鶴姫の住まいがあったことによる。熊野地方を統治した新宮氏の祖とされる新宮十郎行家は丹鶴姫の弟であった。

出丸
お城の曲輪としては全国でも珍しい独立した作りです。本丸と橋で繋がっていました。

二の丸の池
鯉が泳いでいました。

二の丸(鐘之丸)

三の丸(松之丸)の石垣
新宮城は紀州藩付家老水野氏の新宮領統治の拠点となりました。水野氏は熊野川の河口周辺に港を置き、流域の木材や木炭等の山林資源を集め、江戸との交易を盛んに行ったことで知られています。それは近現代にも引き継がれ、新宮市は木材のまちとしても有名です。
1600年(慶長5年)浅野幸長が紀伊国に入る。浅野忠吉により新宮城作られる。
1619年(元和5年)浅野忠吉、三原へ転封。水野重仲が入る。1633年(寛永10年)水野重良が新宮城を完成させる。以後水野家は明治維新まで10代続きました。
1873年(明治6年)廃城令により城が取り壊されました。
阿須賀神社にある新宮市立歴史民俗資料館に続日本100名城スタンプがあるということで移動しました。資料館はこの日は無料でしたが普段は200円の入場料がかかるようです。

阿須賀神社

紀伊山地と霊場の参詣道ということで熊野古道が世界遺産に登録されています。この阿須賀神社もその一部です。

阿須賀神社
この近くには熊野速玉大社もあります。

JR新宮駅の近くの観光案内所で新宮城の御城印を購入しました。袋に八咫烏のスタンプが押してありました。

1日目は白浜あたりの海上釣り堀で家族で釣りを楽しみました。鯛が数匹釣れたのですが、近くのとれとれ市場というところでさばいてもらい、お刺身と焼き魚(写真左上)でいただきました。とてもおいしかったです。市場で売っている魚介類も購入してバーベキューしました。

お土産をいくつか購入しました。

八咫烏(やたがらす)にちなんだ金の卵餅です。
八咫烏といえば、初代神武天皇を奈良へと導いたことで有名ですね。サッカー日本代表の胸にも付いているマークです。

伝統の那智黒飴
帰りは三重県側を通って帰りました。
お腹も満足の楽しい旅でした。
8月23日にBS日テレでまさにこの場所を舞台にしたドラマが放送されました。内藤剛志さん主演の人気サスペンスドラマシリーズ「旅人検視官 道場修作 和歌山県南紀勝浦温泉殺人事件」です。
みられた方おられますか?ホテル浦島はもちろん熊野三社や新宮城も出ていて嬉しかったです。
令和8年3月1日 アップデート