「真説 坂本龍馬展」に行ってきました。
令和7年3月11日に行ってきました。京都佛立ミュージアムで開催されました。北野天満宮の近くです。地下鉄太秦天神川駅からは嵐山電鉄を使いました。
令和7年2月21日〜6月22日に開催されています。
2017年1月、龍馬直筆の書簡が新たに発見されました。
そこには龍馬の署名とともに「慶應三年十一月十日」と記されています。すなわち、龍馬が暗殺される五日前に自ら筆を執ったもので、さらに文中には「新国家」との文言が見えます。極めて歴史的な意味を持つ発見となりました。
近年、龍馬の偉業を疑問視するような言説が流布されています。しかし、数々の資料が龍馬の果たした役割の重要性を示しており、かつその根底には「新国家」という、新たに生まれる近代日本の具体的なビジョンがありました。
京都佛立ミュージアム「真説・坂本龍馬展」では、郷士坂本家十代目・坂本匡弘氏の全面的な協力を得て、氏の所有する新発見の書簡を実物展示しています。
そして、他の一次資料から「新国家」の意を読み解き、憶測や類推ではない龍馬の「真説」を紹介しています。
入館料:無料

このポスターが地下鉄に貼られていたのでイベントに気付きました。写真は撮っていいということでしたので撮りました。

龍馬と龍馬を取り巻く人々

龍馬と越前福井藩の人々

龍馬が福井藩中根雪江に宛てた手紙(実物)
福井藩の由利公正(三岡八郎)は有能の人物なので明治新政府には絶対に必要な人です。福井藩は今すぐにでも登用すべきです。といった内容です。

龍馬が書いた長幕海戦図(実物)
龍馬は長州藩の討幕派とともに四境戦争で幕府軍と戦いました。海援隊所有のユニオン号に乗って、高杉晋作の小倉城攻めを援護しました。この手紙は土佐の兄権平へ宛てたものです。
武田鉄矢作、小山ゆう画の漫画「お?い竜馬」の一部を紹介してありました。

龍馬が考えた新政府人事に自分の名前が無かったことに、「そうさなー私は世界の海援隊でもやりますか」と言い、薩摩藩の西郷、大久保、小松らは唖然とした。

慶応3年(1867)11月15日京都河原町の醤油商「近江屋」にて中岡慎太郎と談義中に刺客に襲われ命を落とした。

海援隊公式出版物「和英通韻伊呂波便覧」(レプリカ)


海援隊公式出版物「藩論 巻一」(レプリカ)
この佛立ミュージアムは本門佛立宗の長松清潤住職を理事長とします。また渋谷龍馬会の特別顧問でもあります。幕末維新の仏教改革者で長松寺開基の長松清風住職より5代目にあたるようです。清風氏は海援隊出版の「閑愁録」での龍馬の仏教への考え方に感銘を受け、その解釈本を書いたとのこと。
帰りに北野天満宮入り口近くの「カステラ ド パウロ」という洋菓子屋さんに寄りました。龍馬も長崎で海援隊でカステラを作ったというエピソードを思い出しました。

美味しそうな洋菓子
今回は本場のカステラは買っていないので次回の楽しみに取っておきます。

このお店はポルトガル人のご主人と日本人の奥様で経営されています。
アップデート令和7年8月3日
下関の旅
令和6年5月5日ゴールデンウィークで福岡に帰省し、帰る途中に山口県下関市に父と妹と行ってきました。
ここは源平合戦のクライマックスである壇ノ浦の戦いがあったところです。平家は平清盛の時、大きな権力を握りましたがその死後、木曽義仲や源頼朝の反転攻勢を受け凋落していきます。源義経により一の谷の戦い、屋島の戦いで連敗し、ついにここ壇ノ浦に追い込まれ最期を迎えたのです。平知盛は猛将で活躍しましたがついには矢も尽き、刀折れ最後は碇を背負って海底へと沈んで行きました。以前京都の平安神宮で行われた薪能での「碇知盛」を思い出しました。

平知盛像

八艘飛びをする源義経像
義経は非戦闘員である水夫を射殺すという策を用いたり、潮流が変わることを読んで戦闘を有利に進めたと言われています。逆艪を用いることを拒んで軍監である梶原景時と意見が食い違ったことが後の頼朝への讒言に繋がったとも。この戦いで三種の神器を奪還できなかったことも大きな痛手となった。

赤間神宮
壇ノ浦の戦いに散った幼い安徳天皇と平家一門を祀っています。竜宮城の形になっているのは安徳が入水する時に祖母にあたる二位尼が海の中にも都がございますと言ったことにちなんでいます。

平家物語で有名な耳なし芳一堂がありました

平安時代の鎧のレプリカ(資料館)

平家物語

源平合戦図

琵琶

下関名物の瓦そばを平家茶屋さんでいただきました。美味しかったです。

みもすそ川公園には長州砲(八十斤加農砲)の復元したものもありました。長州藩はこれを馬関戦争に用いましたが、米英仏蘭の連合軍に砲撃され大敗し全ての砲台が占拠、破壊されました。これ以降藩論が開国討幕に変わります

下関といえばふぐも有名で下関メインキャラクターのせきまる君が乗ったポストがありました。

高杉晋作像
功山寺に向かいました。長州藩士高杉晋作が討幕のための兵を挙げたところです。8月18日政変で都落ちした三条実美以下長州派5公卿の前で「これより長州男児の腕前お目にかけ申すべし」と言ったといいます。最初は少兵でしたが萩に向かうに従って増えて行き、ついには俗論派長州兵を倒しました

功山寺

功山寺

長府毛利邸

毛利秀元像

長府毛利邸

新政府綱領八策 坂本龍馬筆(下関市立歴史博物館)
企画展幕末群雄伝-下関に集った志士たち-があってました。いわゆる船中八策というやつですね。龍馬が新政府について発案した意見ですね。

功山寺にて高杉晋作のコースターを購入しました。

赤間神宮の隣に日清戦争の下関条約の談判場となった春帆楼がありました。


日本側として出席した伊藤博文首相と陸奥宗光外務大臣の像がありました。伊藤博文は長州志士、陸奥宗光は坂本龍馬が作った海援隊の隊士でした。
この後、北九州小倉の叔父の家に行き、祖父母の仏壇に詣って、父と妹と別れて新幹線に乗って関西に戻りました。短いゴールデンウィークでしたが友人にも会えたし濃い時間を過ごせました。